雨の日は そばに居て
-1-
「― 決めた」
窓を叩く雨を、頬杖ついて診るともなく眺めていた彼は、そうつぶやくと勢いよく立ち上がった。
「どこまでだって、行く」
勢いよく開けられたドアと、そこから飛び込んできた人影にルヴァは一瞬、驚きの声も出ない。
バサバサッと、手にした資料を取り落とし、それにも気づかぬ風で口をパクパクさせるルヴァに、
飛び込んだ勢いそのままで彼は抱きついた。
「お久しぶり★元気だった？」
「あ、え、オ、オリ、オリ・・・」
「やーね、まさか忘れた訳じゃないでしょうね」
顔をのぞき込むように小首を傾げて、オリヴィエは鮮やかに微笑んでみせた。
相変わらずの美々しく華やかな装いで。
「えっ、あー、ど、どうしてここへ？」
衝撃から立ち直らぬまま、しどろもどろに問いかけるルヴァに、一層華やかに笑ってオリヴィエは答えた。
「もちろん、あんたに会うために」
差し出された小ぶりな茶碗を、両手でそっと受け取って
「・・・玉露？」
いとおしむように包み込む。
「よく覚えていましたね」
にっこり頷き、ルヴァは答える。
「取って置きの、宇治の玉露、ですよ」
柔らかな香気と静寂が二人を包んで流れた。
ここでも雨が窓をたたいていた。
-2-
「ねえ、ここって砂の惑星、じゃなかった？」
ややあって、オリヴィエが当然の疑問を口にした。
「なんで、こんなに雨降ってるわけ？」
静かに茶碗をテーブルに戻したルヴァは、窓の外に視線を移したまま答える。
「星の寿命が尽きようとしているのですよ」
軽く眉をひそめたオリヴィエの気配に、ルヴァは慌てて付け足した。
「あ、えーっと、もちろん
今日のあしたのっていうことじゃなくて、えー
少なくても、私の寿命よりはずーっとまだ・・・・・痛っ」
テーブル越しに思いっきり腕を伸ばして、オリヴィエがルヴァの頬をつねっている。
紫がかったブルーの瞳に笑みの影はない。
「そんな台詞聞きたくて来たんじゃない」
頬から離れないオリヴィエの手に、自分の手をそっと重ねて、ルヴァはつぶやくように答えた。
「・・・・ええ、でも、
私には、もう星ほどの寿命はありませんから、ねぇ」
窓の外の雨が激しさを増した。
-3-
料理を並べ終えた少年が、ピョコンとお辞儀をして部屋を出ていったあと、
オリヴィエのグラスに紅い酒を注いで
「えー、と、いなか料理ですけど、ね」
ルヴァは不器用に笑ってみせた。
オリヴィエは、さっきからブスッと黙ったままである。
テーブルには、チャパティと羊肉のシチュー、各種のチーズの他に、青々としたサラダや
乾燥物ではない果物も並べられている。
「気候が変化したおかげで、ですね、
こうした野菜なんかが採れるようになったんですよ。
あー、でもあんまり雨降りだと、発掘作業が進まないんで、
・・・んー、それも困るんですけどねぇ」
仕方なさそうに肩をすくめるルヴァは、膝まで届くゆったりした麻の上着に幅広のパンツを履き、
頭には相変わらずターバンを巻いている。
「ねぇ、ルヴァ」
軽くグラスを合わせてやっと口を開いたオリヴィエは、流し目をしてこう云った。
「さっきの子、あんたの息子？」
「！」
口にした酒を吹き出しそうになって、ルヴァは思わずせき込んだ。
「オ、オリヴィエ！
わ、私がここに来て、まだ５年ですよっ
それに、私は・・・」
必死に弁解？するルヴァを面白そうに見ていたオリヴィエは、澄ましてクイっとグラスを傾けた。
「冗談、よ」
がっくりとテーブルに突っ伏していたルヴァは
「あら、おいしいじゃない」
オリヴィエの声にようやく顔を上げた。
「食べないの？」
目の前には羊の骨付き肉が、フォークに刺さって突き出されている。
「ほら、あーん★」
テーブルの向こうから、にこにこと極上の微笑み付きで。
「うー、あの、ですね、あー、
そういう振る舞いは、ですねぇ
んー、人に誤解されるんですが、ねぇ」
「ん、なんて？」
「えー、つまり、んーと
なんていったらいいのか・・・・、あー」
「デキテルってこと？」
「はぁ、まあ、・・・そんなところ、ですかねぇ」
「いいじゃない、誰も見てないんだし」
ふんっとそっぽを向いたオリヴィエは、窓の外に群がるたくさんの視線に、思わずフォークを取り落とした。
「ル、ルヴァ！」
悲鳴にその近い声に窓を振り返って、ルヴァは大きなため息をついた。
「あー、やっぱり・・・」
やれやれ、と立ち上がったルヴァは、外に向かって一言二言何か説明していたが、
やがてからっぽの窓を閉めて戻ってきた。
「な、なんだったのよ」
「すみませんねぇ。ここは外からのお客が、
あー、特に女性は、ほとんど来ないものだから・・・」
「ああ、なんだ・・・って、
なによ、それっ！」
「ですから、本当のことを云って、帰ってもらいました」
「・・・なんて？」
上目遣いに見上げてくるオリヴィエに、珍しく余裕たっぷりでルヴァは答えた。
「ふふふ、内緒、です」
-4-
雨が止んだらしく、外では一斉に虫の合唱が起こった。
日干し煉瓦を積み上げ、漆喰を塗っただけの壁と、一応ガラスのはまった小さめの窓。
ベットの脇にまで本が山積みされているのが流石といおうか、それ以外飾り気もない寝室である。
「ねえ、もう寝た？・・・・・なーんてね」
修学旅行の高校生のような台詞を、ベットを占領したオリヴィエがつぶやいた。
散々飲んで、しゃべり疲れて、そろそろ寝ようとランプを消したのが、かれこれ１時間も前である。
「・・・寝てるよ、ね」
寝返りを打ったオリヴィエに、床の上から思わぬ返事があった。
「眠れないんですか？」
振り向くと、床に毛織マットを敷いて毛布にくるまったルヴァが肘枕で微笑っている。
「ごめん、起こしちゃった？」
ごくかすかにかぶりを振って、照れ臭そうにルヴァが答えた。
「うれしくって眠れない、なんて・・・
・・・ふふ、子供じみてますよねぇ」
クスッと笑ったそれにつられて、オリヴィエもついクスクスと笑いだしてしまう。
そして・・・。
オリヴィエは久しく流したことのなかった涙が、頬を伝っていることに気が付いた。
なぜか止められぬ涙に戸惑い、彼は枕に顔を押しつけた。
薄闇の中、ルヴァの立ち上がる気配がし、そばだてた耳にやがて柔らかな弦の音が聞こえてきた。
素朴な音色に合わせて語りかけるようなその詩は、彼の知る言葉ではなかったが、
穏やかなルヴァの声によく合っていた。
意外に表情豊かで、静かな、けれど情熱的なルヴァの唄・・・。
けして短くない付き合いで、初めて耳にした歌声だった。
床に座り込み、片膝を立てて抱えるようにしていた楽器から顔を上げ、
「『雨の降る日は、側に居て』
・・・遠い昔の、私が子供の頃の唄です」
ポツリ、とルヴァはつぶやき、視線に答えるように付け足した。
「雨が幸せの象徴だった頃の恋の唄・・・
ふふ、おかしいですかねぇ、、・・・私が恋の唄なんて」
黙ったままでオリヴィエは首を振る。何度も、なんども。声を出すとまた、涙が溢れそうで。
ふ、とルヴァは微笑んで再び楽器を取り上げた。
弦ではなく胴を、トン、トンとゆっくり指で叩き、拍子を取りながら静かに歌い出す。
「子守歌です。
私が母に歌ってもらった・・・・
・・・おやすみなさい、オリヴィエ」
だいぶ傾いた月明かりが窓から差し込み、ルヴァをぼんやり照らしている。
― 自分の数ヶ月、ルヴァにとっての５年の歳月。
イライラと過ごしたその月日の理由が、かけがえのない者への喪失感だったことを
痛いほど感じながら、オリヴィエはまぶたを閉じた。
静かに穏やかに、子守歌は続いている・・・。
-5-
「あー、今日も暑くなりそうですねぇ」
ルヴァは、まっ青く晴れ渡った空をまぶしげに仰いだ。
−はるか空を遠ざかっていく、その人が見えているのかどうか・・・。
「ねえ、ルヴァ先生」
つんつんと上着を引っ張る少年を振り返ると、少年は待ちきれないようにしゃべり出した。
「ちゃんと、打ちあけられた？」
「はぁ？」
「だって、あのひと、先生の好きな人なんでしょ？」
豆鉄砲を食らったように眼を瞬かせるルヴァに、じれったそうに少年は拳を振り回した。
「だって、そう言ったじゃない。まえに。
ほら酒場でせまられちゃったときに『私には心に想う人が居ます』って」
あぁ、と頷き
「そんなことも、ありましたねぇ」
のんきそうにそう答えるルヴァの背中を、小さな手のひらが思いっきりぶった。
「だって云ったじゃない！ゆうべだって
『私の大切な人ですから』って！」
−だから、大好きなルヴァの邪魔をしないように、みんなを追っ払って、おきまりの昔話も我慢して
膝を抱えて寝たのに。
くるり、と向こうを向いてしまった少年の髪を、くしゃくしゃに撫でながら、微かに、本当にかすかに
ルヴァはため息をついた。
「想うだけで叶うのなら。・・・・ねぇ」
見上げた空は、どこまでも青かった。
-6-
時は流れて、主星の片隅に小さな博物館が建った。
辺境の、かつて『砂の星』と呼ばれた惑星の、それは形見だった。
目の隅をつと横切った、この場に相応しくないあでやかな色彩に、少年は、
いやもう充分に貫禄の付いた彼は、思わず立ち止まった。
「まさか・・・・。」
ガラスケースの前、一つの楽器の前に、その人は佇んでいた。
いとおしむように、語りかけるように、楽器を見つめていたその人は、彼の視線に気が付いて振り返った。
瞬間、スッと細められた目は、何かを思い出すように。
―― 声をかける間もなくすれ違ったその人は、確かにあの晩ルヴァを訪ねて来た客だった。
『大切な人」と、ルヴァに云わせた・・・。
棒のように立ちすくむ彼の傍らを、その人は鮮やかな虹の様に通り過ぎていった。だが彼の耳は、
その言葉を確かに聞き取っていた。
「ありがとう。ルヴァの夢、叶えてくれて」
そして、主星での日々の中、彼は知ることになる。
それが夢の守護聖その人であることを。
大好きだったルヴァが、かつて地の守護聖であったことを。
辺境の星の一夜、二人はどんな話をしたのだろう。
穏やかに笑うルヴァの顔を想い出すたび、彼はそう思うのだった。
――― 羨望とともに。
ｅｎｄ