伊予の真砂
-1-
「ご覧、神子殿。
―――あれが、私の海だよ」
翡翠は馬をとめると、前鞍でたてがみにしがみついている花梨にそう言った。
そして精一杯伸び上がる彼女の腰を、馬から落ちぬようにそっと支えた。
冬枯れの木々の枝を透かして、遙かな彼方にキラキラと光る波が見える。
小さな島をいくつも浮かべたその海は冬の日差しを白く弾いて、まるで細かなダイヤモンドを散らしたようだ。
「わぁ、きれい・・・。――！！きゃっ」
二人の気配に驚いたのか、不意に頭上から小鳥が飛び立ち、弾みで小枝の雪がパサッと花梨に落ちてきた。
翡翠は笑いをとっさにかみ殺して”即席ゆきだるま”になった花梨を鞍に戻し、素早く手綱をさばいて驚く馬をなだめる。
「・・・大丈夫かい？
もう少し行くと見晴らしのいい場所があるから、そこで一休みしよう」
パタパタと衣の雪を払い落としてした花梨は、翡翠の声に混ざる笑いの気配に頬を膨らませる。
「ひどーい、翡翠さん。人ごとだと思って・・・くしゅっ」
翡翠はくすくす笑いながら、彼女の柔らかな髪に残る雪を払う。ついでに彼女の肩から鞍に滑り落ちた皮衣を拾い、
軽く振って再び肩をくるみこむように、しっかり着せかけた。
「さて、と。少し馬を急がせるから、しっかり掴まっておいで」
-2-
「君には、話したことがあったね。・・・・おっっと」
立木に手綱を結んで振り返る翡翠めがけて、小さな雪玉が飛んできた。
広げた手のひらで難なく受ける彼に、二つ三つと立て続けに雪玉を投げて、花梨は子供のように笑った。
「こら、このいたずらっこめ」
花梨は追いかける彼の手をかいくぐりさらに新しい雪玉を作ろうとしたが、馴れないわら靴はすぐに雪にとられて
立ち往生したところを、あっけなく翡翠に掴まってしまった。
「さぁ、捕まえた」
背中からぎゅっと抱きしめると、花梨は小首を傾げるように彼を見上げる。
ほんのりと薄紅に上気した頬に短い髪が散って、瞳はいたずらっぽい精気に輝いている。
一瞬、翡翠はそんな彼女に我にもなく見とれた。
「だって、翡翠さん、・・・翡翠さん？」
口を尖らせかけた彼女は、翡翠の表情に言葉を止めた。
「――ああ、いや」
苦笑して彼は頭を振る。まったく、―私らしくもない、な。
「君には話したことがあったね。
先祖が京の貴族だったというハナシを」
なにを話すの？と瞳で促す彼女をもう一度きゅっと抱きしめて、彼は小さなため息と笑みをこぼした。
「彼、というのはその先祖のことだがね、
――やっと彼の気持ちが、理解できたのだよ。
まったくきみって姫君のおかげで、ね」
-3-
「ごく小さいときからずっと、私は彼によく似ていると云われてきたのだよ」
「その貴族ってヒトに？
・・・似てるって、似顔絵とか残ってたんですか？」
「そう、絵姿とか、伝承とかいろいろ。ね
まあ何しろ１００年も前の人のことだから、色々と尾鰭は付いていようがね」
翡翠は用心深く手綱をさばいて馬を進める。深い木立のなかは、冬枯れとはいえ視界が良いとはいえない。
それでも、もう間もなく里に着くはずだった。雪の少ない今年だからこそ出来た山越えであった。
「ふーん、有名人だったんですね？その人」
「ああ、そうだね。
１００年たって評判が残るというのは、なかなか無いことかもしれないね」
軽く笑って翡翠は答える。
「―先代の地の白虎、と云ったら、できすぎだとは思わないかい？」
「ええっ、本当に？」
「伝承では、ね」
「・・・もしかして、翡翠さん。
だから初めのうち、全然信じてくれなかったんですか？」
「まあ、ね。否定はしないよ」
彼が軽く笑う気配を、花梨は背中に暖かく感じていた。彼の長い髪が一房、自分の肩に届いている。
彼女を片手で支えて、片手で手綱を巧みにさばく翡翠は、こうしていると本当に海賊とは思えなかった。
かといって頼忠のような、武士のたたずまいではない。貴族の武官、というのが一番しっくりくる。
「ね、翡翠さん。・・・まさか、その人武官だったなんてこと・・・」
「云っただろう？海賊を討伐に来たのだと。
役職で云うと左近衛府少将だったそうだから、今とは違うが、まぁ身分もそこそこ、かな。
帝の覚えがめでたかった、というのは眉唾ものだがね」
「すごいじゃないですか！
えーっと、なんていう名前だったんですか？その人」
「友雅、・・・橘友雅と云ったそうだよ。
――彼に伝わる、とっておきの話をしようか？」
-4-
――神子が龍神を呼んで、全てが終わった。
神子は自分の世界に帰ったのか、あれ以来行方がしれない。
八葉はみな、胸中の苦みを押し殺して日々を送っていた。
誰の声も、彼女には届かなかったのだろうか？
無事に帰れたのなら、それでもいい。まだ諦めがつく。
・・・だが、あれはそう確信できる状況ではなかった。
彼女の気配を追った泰明も、力無く首を横に振った。
龍神とあまりに近くなっていた彼女の気配は、此処にあるようでもあり
同時にどこにも無いようでもあったのだ。
「―――判らない」
そう告げた泰明の憔悴した顔を、友雅は忘れていない。
誰も彼女を守れなかった。その苦渋をかみしめるだけの日々が過ぎていく。
それでも、京は救われた。
だが、それが一体なんだというのだろう。
帝のみならず多くの者からの賞賛と感謝の言葉が、八葉と藤姫に惜しみなく注がれた。
だが、そんなものは、彼らにとってなんの価値もない。
「彼女さえいれば、――京など、どうなっても良かった」
そう口に出すほど、友雅は幼くはなかった。
美辞麗句を並べる相手に、そう云えればどんなにか胸のつかえもおりるだろう。
でも、それで得られるのはささやかな自己満足だけで、彼女が戻るわけではないのだ。
-5-
「姫さま、左近衛府少将さまがお見えです」
藤姫は凭れていた脇息から身を起こした。
彼の人より先に、優美な香りが風と共に部屋を訪れる。
いつもと同じなのに、あの頃のようには心は弾まない。
「ご機嫌いかがですか？藤姫」
普段と変わらず軽やかな身のこなしで入ってきた彼は、藤姫の顔をちょっとのぞき込むように首を傾げた。
「・・・ごめんなさい、友雅殿。
何度占っても神子さまの行方は判らなくて・・・」
うなだれる藤姫の髪を、そっとやさしい手が撫でた。
「貴女が気に病む必要はないよ。
それに今日は姫に、少しお願いがあってね」
いつも通りの優しい声。でも、何かが違う。
「これを、預かってくれまいか」
差し出されたのは一面の琵琶。
「―――友雅殿？」
友雅を見上げた藤姫は、思わず息を呑んだ。
「友雅殿！」
藤姫の視線を受け止めて、友雅は苦く笑った。
「もう八葉など、必要ないのだろうね。
――龍神の神子も居ないのだから」
そういう喉元、鎖骨の間に輝く龍の宝玉は・・・なくなっていた。
「泰明殿も、鷹通も同じだそうだよ。・・・他の八葉に訊いてはいないが」
訊けば宝玉が消えたのは、ほぼ同じ時刻。
十六夜の月が中空にかかった頃合いに、不意にそれは消えたのだった。
彼らの胸中に大きな穴を穿って。
叶うことなら、龍神に云いたかった。最後の絆さえ、断ち切ってしまうのか、と。
-6-
「伊予の国というところを、藤姫は知っていますか？」
膝元に置かれた琵琶からやっと目を上げて、藤姫は友雅をみた。
いつものような軽く笑みを含んだ優しい眼差しに、彼は戻っている。
困ったように首を傾げる姫に、彼は懐からまだ青い柑子を出して渡した。
「・・・あ！」
「そう、姫の好物のたくさんあるところ、ですよ」
両手にそっとくるんで鼻先によせると、鮮烈な若い果実の香りがした。
「今度、帝のご用でそちらに参ることになったので、
帰るまでの間、この琵琶を姫の手元に置いてほしくてね」
「いつ、お帰りですか？」
「ご用が済めば、ね」
「すぐ、終わりますか？」
畳みかけるような藤姫の言葉に友雅はちょっと目を瞠り、次の瞬間軽やかに笑った。
「ははは、姫がそうおっしゃるのでしたら、すぐにでも」
「約束ですよ？」
「必ず」
「・・・友雅殿。帰ってきてくださいね」
友雅は無言でにこりと頷いた。
ふ、と藤姫の膝元から琵琶を取り上げると、包んでいた袋を取り去る。
「遠く天竺の話にあるように、この弦が切れぬことが私の無事の証だとは思ってくれまいか」
「危険なお仕事なのですか？」
「さぁ、どうなのだろうね」
「！友雅殿っ」
「ああ、・・・いや。おどかすつもりではなかったのだよ。
大丈夫、必ず戻ってくるから」
そう言う友雅の笑顔は優しくて、藤姫は胸に小さな痛みを感じていた。
――龍神さま、お願いだから、これ以上大切な人を私から奪わないで。――
-7-
「――そう言ったのですか。少将殿は」
云って鷹通は秀麗な眉をわずかにひそめた。
「鷹通さま？」
怪訝そうな藤姫に、安心させる様な笑顔を向けた鷹通だが、それでも憂いは隠せない。
「友雅殿のご用とは、そんなに危険なものなのですか」
「彼が大丈夫、というのなら大丈夫なのでしょう。
はったりや見栄をいう人ではありませんから。だが」
「だが？」
「あ、いや。・・・いずれ判ることでしょうから
私から云った方がいいのかもしれないですね」
「鷹通さま？」
「海賊の討伐に行ったのですよ、彼は。・・・自ら志願して」
声にならない悲鳴が藤姫の口からこぼれた。
友雅が琵琶を預けたのは、かれこれ一月前のこと。
以来毎日、弦の無事を確かめ、帰ってくる日を指折り数えていたというのに。
「藤姫？」
「大丈夫です、大丈夫。きっと友雅殿は帰ってこられます。
だって、・・・だって私とやくそく」
必死に紡いだ言葉は、あふれる涙に流されてしまった。
-8-
――鬼神と呼ばれた。
敵からも、・・・・味方からも。
それほどに、彼には容赦というものがなかった。
まるで自らの死に場所を求めるかのような苛烈さに、いつしか友雅はそう呼ばれるようになっていた。
地の利を持つ海賊達の抵抗は意外なほどしたたかで、京の討伐隊は苦戦を強いられていた。
友雅が京を離れて、やがて三月が過ぎようとしている。
寝付けぬまま仮陣屋の寝所を抜け出た彼の手には、一管の笛が握られていた。
耳元を吹き抜ける風は雪の気配を含んで、空は重苦しいのに雲が妙な明るみを孕んでいる。
まもなく、本格的な冬がくる。
屋形の裏手は、後ろに山を控えて小高い丘になっていた。
けもの道がわずかにあるだけのそこに、杉の巨木がそびえている。その太い根は土を押しのけ、
なにか生き物のように地表にのたくっていた。
間近に見上げても見えるのはただ黒々とした影のみ。わずかに枝の隙間からみえる空も重く、
友雅になんの慰めも与えはしなかったが、こんな夜には格好の話相手であった。
手にした笛を唇にあてがうことさえ忘れたように、ただ友雅は幹に凭れている。風が彼の髪を吹き散らす。
「――鬼、か」
八葉であった自分が、鬼と呼ばれることになろうとは。自嘲の笑みが彼の貌を暗く彩った。
彼女を失った自分はこんなにも脆く、今まで通りに惰性の人生を送ることすらできずに、死に場所を求めて此処に居る。
あるいは、他の八葉には見破られているのかもしれない。この弱さを。
だがそれももう、どうでも良いことだった。
-9-
「無粋だねぇ。
さすがに鄙びた海賊、と云ってさしあげようか」
闇に向かって友雅は嘲笑の声を投げた。
挑発されて飛来した矢が折からの風にあおられて、友雅の顔をわずかにかすって逸れた。
「闇討ちならば、いっそのこと巧くやってもらいたいのだがね」
言葉と同時に友雅の手から閃光が走る。かみ殺した悲鳴は案外近く、他に気配もないことから抜け駆けと知れた。
小太刀に肩を貫かれてうずくまる賊の首に抜き身をあてがい、友雅は薄く嗤った。
「独りならば討てるとでも思ったのかな。ふふ、私も随分と甘く見られたものだね」
ふと友雅は賊の衣装に目を留めた。まだ年若い賊は、意外にも仕立てのよい衣をまとっている。
暗い目のまま思案したのも一瞬。賊の右耳は友雅の太刀に切り落とされ、転がった。
絶叫と吹き出す血潮が、風に吹き散らされた。
血糊に濡れた太刀を賊の眼前にかざし、友雅は吐き捨てるように云った。
「逆恨みはみっともない、と思うのだがね。君の父上に免じて、今回だけは見逃そう。
だが、覚えておきたまえ」
恐怖のあまり眼の焦点もあわぬ彼には、まさに鬼と映ったであろう。――その友雅の笑みは。
「再び私の前にその姿を現したなら、――次に斬るのは、耳ではないよ」
-10-
身動きもままならぬ彼をうち捨てて、友雅はきびすを返した。
年若いその賊は味方、それも友雅と共に左右の大将をつとめる貴族の子息であった。
苦い嗤いが友雅の貌に浮かぶ。
彼にはおおよその見当はついていた。逆恨み、というのは、あながちはずれではあるまい。
彼らが陣屋を置く屋形の娘が友雅に恋慕したのが発端であった。
友雅に一顧もされないことを苦に娘が生きるの死ぬのと騒動を起こし、遠くの親戚に預けることで一通りの
決着を見たのがつい先頃のことだ。
おおかた、あの子息は娘に懸想し「友雅さえ居なければ」とでも思ったのだろう。
ふ、と友雅は足を止めた。
気がつくと白い雪が舞っていた。
見上げる空から、あとからあとから音もなく舞い降りてくる。
ことし初めての雪は、ふんわりとおおきな花びらのように優しかった。
熱い固まりが喉を塞ぎ、視界が不意にぼやけた。
瞬きとともに流れ落ちた熱い涙をどうすることもできず、友雅はただ降りしきる雪の中に立ちつくしていた。
かすかにその唇の動きだけが、彼の胸中をあまりなく物語っている。
―――帰ってきてくれ、神子殿。
-11-
・・・・・・・此処は、一体？
茜はうっすらと眼を開いた。眩い虹の様な光に包まれている自分が居た。
「・・・あれ？」
傍らに居るはずの彼の姿を探して、宙に手を彷徨わせる。
「わたしを呼ばなかった？・・・友雅さん？」
「―――神子様っ！」
振り向くと驚愕の表情も露わな藤姫が立ち竦んでいる。
「藤姫？」
みるみるうちに藤姫の大きな瞳は涙で一杯になり、走り寄るなり茜に抱きついた。
「神子様！」
「どうしたの？藤姫」
痛いほどの力でしがみついてくる藤姫の髪を、当惑しながらも茜は撫でた。
「もう、・・・もうお帰りにはならないかと思って・・」
「え？」
気が付いて辺りを見回すと、几帳から垣間見える外は白い雪に覆われていた。
「ごめん、藤姫。今は何月？」
嗚咽で声にならない藤姫を一旦引き離し、改めて膝をついて視線を合わせる。
「大丈夫、どこにも行ったりしないから、ね？」
それでも藤姫はイヤイヤと云うようにかぶりを振り、小さな手で力一杯しがみついてくる。
一体なにがあったのだろう？
――あれ？そういえば、わたしはどうしたんだっけ？
「藤姫さま、どうかされましたか？」
騒ぎを聞きつけたのか、庭先から頼久が遠慮がちな声をかけてきた。
「あ、頼久さん？大丈夫だよ。なんでもないから」
茜が何気なく応えた瞬間、頼久が凍り付く気配が伝わってきた。
――うわっ、わたしなんかまずいこといったかな？
茜が首を傾げる間もなく
「失礼します！」
極限まで緊張した表情の頼久が、太刀を抜いて走り込んできた。
「きゃっ」「――頼久っ！」
太刀風を頭上に感じるのと、藤姫が制止するのが同時だった。
思わずつぶった目を恐る恐る開いてみると、頭上すれすれに太刀が止まっていて、茜は思わず尻餅をついた。
-12-
何度云っても頼久は雪の庭に両手を付いたまま、その頭を上げようとしなかった。
「ね？だから〜。
大丈夫だったんだから、そんなに謝らなくても。ねえ頼久さん」
困った茜は藤姫に助けを求めた。
「藤姫も云ってよ。このままじゃ頼久さん風邪ひいちゃうよ」
小さな口をきゅっと結んだ藤姫が、しぶしぶという風情も露わに頼久に声をかける。
その手はしっかりと茜の袖を握って離そうとしない。
「頼久。神子様が許すと仰って下さいます。もうその手をお上げなさい」
ふ、と頼久の肩から力が抜けた。パタパタと雪の上に落ちたのは涙。
「頼久さん？」
「・・・物の怪が貴女に成りすましたのかと。
八葉の任を解かれたとはいえ、我ながら不甲斐ない」
「え？どういうこと」
「え？」「は？」
茜の疑問に応える声は二人分。藤姫と頼久と。
改めて頼久を見れば、見慣れた左耳の玉がない。
「なんで・・・？
あ、そうだ！アクラムは？黒龍は？」
「神子様・・・本当に？」
「えーっと龍神を呼ぼう、って思ったところまでは覚えてるんだけど」
困ったように笑う茜に、頼久が生真面目に答える。
「神子殿は白龍を呼ばれ、障気となり京を覆っていた黒龍を討ち果たして下さいました」
「アクラム達は？」
「あの者達はその後、気配が絶えましたので、おそらくは・・・」
「そう、なんだ」
ひとり思案にふけっていた藤姫がふと顔を上げた。
「あの神子様？」
「なあに、藤姫？」
「神子様は、いままでどこにおいででしたの」
真顔で問われて、茜は照れくさそうにぽりぽりと頭を掻いた。
「ん・・・なんか寝てたみたい」
「眠って、ですか？」
「うーん、よく覚えてないんだけど、途中で一回起こされて」
「誰にでございます？」
「判らないんだけど、なんかえらそーな声で難しいこと云われたんだよね。
我の一部となるか、汝のままに在るか？・・・みたいなこと」
「で、なんとお答えに」
「わたしのままでいたいって。・・・そうしたら、力が足りないから
分けた力を戻すって云われて、いくつもの光の玉が飛んできたのよね」
「それですわっ」
いきなり力強く藤姫が頷いた。
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「頼久、支度なさい。
神子様を伊予の国までお送りするのです」
「え？藤姫。どうしたの？
いよってどこ？」
「明朝には出立できるように。
他の方達の助力が必要でしたら、私の名前をお使いなさい」
「はっ」
心得顔に頷いて、頼久は足早に立ち去る。
思わぬ展開に呆然と見送る茜に、藤姫はにっこり笑った。
「お話ししますわ、神子様が居なくなられてからのことを」
-14-
ぱたり、と茜の手から文が落ちた。
「そんな、友雅さん・・・」
もう京には戻らぬ、約束を守れずすまない、と一月余り前の日付のその文には書かれていた。
都を遠く離れた田舎から届いたとは思えない、いかにも友雅らしい雅な趣向を凝らした文ではあったが
そんなことは何の慰めにもならなかった。
茜の膝元からそれを拾い上げ、丁寧に畳み直しながら藤姫は云った。
「友雅殿は、神子様が戻らぬと思って、自ら海賊討伐に行かれたのです。
詳しくは私も存じませんが、風の噂ではだいぶ苦戦されたご様子でした」
「でした、って海賊は退治できたの？友雅さんは？？」
寂しそうに藤姫は微笑んだ。
「まるで鬼神のようにお強かったそうです、友雅殿は。
そしてご褒美に、伊予の国守を帝に許されたとか」
つ、と立ち上がると、部屋の隅に大事そうに置かれてあった琵琶を持って来た。
「神子様、これを持っていって下さいませんか？」
「これは？」
袋を取り去ると、真新しい弦の張られた琵琶が現れた。
「一度、全ての弦が切れました。
・・・ちょうどこの文が届いた日に」
小首を傾げる茜に、藤姫は云った。
「友雅殿は伊予に行かれるとき、これを私に預けてこうおっしゃいました。
――この弦が切れぬことが私の無事の証だと」
「え？まさか、友雅さん？！」
かぶりを振って、藤姫は哀しそうに笑った。
「傷ひとつないそうです。
切れてしまったのは、あの方の心。
もはや京には戻らぬと決めた、友雅殿のお心です」
茜は言葉をなくした。
自分の不在がどれだけのことを引き起こしてしまったのか。
「琵琶に弦を張ることは出来ても、あの方の心を繋ぐことはできません。
神子様、・・・行って下さいますね？」
-14-
「―――それでどうなったの？」
行く手に屋形の明かりを認めて、翡翠は馬を心持ち急がせた。
山を越えたこの辺は雪も少なく幾分暖かではあるものの、残照の残るうちになんとか屋形に着きたかった。
「ほら、明かりが見えるだろう？
あの屋形が、かつて彼らが陣屋とした豪族のもの、そしていまでは私の根城のひとつだよ」
「じゃ、もしかして、さっき通り過ぎたすごい根っこの切り株って！」
「そう、彼の伝承の残る杉だよ。
・・・随分昔に落雷で焼けたので、残念ながら伐ってしまったらしいがね」
「ねねね、それで、その友雅さんと神子さんは？」
じれったそうに催促する花梨の、柔らかい髪にそっとキスして翡翠は笑った。
「だから、私が居るんだよ？」
「え？」
「伝承はこう結んでいるんだ。
―友雅は、京の都より飛来した天女と結ばれて、末永く幸せに暮らしました、とね」
「ふうん。
じゃ、とーっても幸せだったのね、二人とも」
花梨は満足そうに笑い、幸せそうなため息をついた。
-15-
「ははは、まるで自分のことのようだね、君は」
「君は、って
・・・翡翠さんはそうじゃないの？」
花梨を抱く翡翠の片手にちょっと力がこもった。
「君を失ったら、
私なら、――無謀を承知で帝に戦いを挑むかも知れない」
「やだ、翡翠さんったら」
軽やかに笑う花梨をことさら愛おしく想う自分が可笑しくて、翡翠はくすっと笑った。
「こんな風に想うなんて、想像もつかなかったのだがね。
都で面白おかしく過ごしてきた彼が、なぜ海賊退治など思い立ってしまったのか、
私にはずっと理解できなかった。
――凪いだ海に時折起きる波を楽しむ、そんな人生で良いと思っていた。
刹那楽しければ、それでかまわない、とね」
「今も、ですか？」
答える代わりに、翡翠は手綱を絞って馬を止めた。
そして驚いて振り返る花梨の小さな顎をとらえ、覆い被さるようにその唇に自らの唇を重ねる。
-16-
恥ずかしそうに、でも嬉しそうに自分の胸に背中を預ける花梨を片手で抱きしめて、翡翠は馬を急がせる。
今夜は屋形に泊まり、明日には伊予の海に着くだろう。
一刻も早く、彼女に伊予の海を見せたい、そんな少年じみた自分の心の弾みを半ば持て余しながら、
彼は心のなかで語りかける。
やっと理解できたのだよ、あなたの気持ちが。
絵姿に似ていると云われ、叶うはずのない「伝承の友雅」と意味なく張り合わされ、
嫌気がさして海賊として暴れてもみたが、・・・今となっては思うよ。子供じみていたと。
失うことを恐れて執着を捨ててきたが、彼女に出会って、それさえも意味のないことだったと
したたかに思い知らされてしまった。
―あなたもきっと同じだったのだろう？
あなたも、それがなくなったら他の全ての意味がなくなるほどの、
大切な、たった一つの宝を見つけてしまったのだと、今なら判るよ。
―――だから。
誰よりもあなたに聞いてほしい。この胸に沸き上がる想いを。
失うことを恐れずに、私の全てを賭けて彼女を守っていくことを誓うよ。
――私によく似た、尊敬すべき先代の白虎、あなたに。
−あとがきというか、言い訳というか・・・− ここまで長い話を読んで下さって、どうもありがとうございました。
まだ「２」をプレイされていない方に誤解させてしまうといけないなぁ、とちょっと反省したのでこの文を書いています。
この話はかなーり私の色眼鏡で見た世界なので、本編とは似て非なる物であることを、改めてご承知おきくださいませ。
まず、翡翠さんは友雅さまの直系である、という話は本編では出てきません。それらしい話はあるのですが（笑）。
だから友さまが海賊の討伐に行ったというのは（多分）フィクションです。ということは、出発点から違うということですね（苦笑）。
ネタバレの可能性がある、というのは実は翡翠さんの台詞を、一部うろ覚えながら本編からぱくって来ているから。
プレイされたときに「もしかして？」と思い当たるかもしれませんので、あしからず。
ただ、私の記憶力っていい加減なので、ホントにちゃんとぱくっている自信すらないのですが・・・。
あとは、時代考証のお勉強が追いついていないので、知ってる方から見たらかなりひどい間違いもあるかな、とは
思いますが、どうぞお見逃し下さいm(_ _)m。
つたない文を重ねて、なんとか大好きな友雅さまと翡翠さんを幸せに描けたら、という想いだけでできた物語です。
ほんの少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。
ついでに感想を頂けちゃったりすると、なおなお嬉しいので、どうぞよろしくお願いいたします。
では、また次の物語で。