梅夜話

梅夜話

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ふ、と泰継は冊子をめくる手を止めた。
「何者か」
冊子に乗せた指もそのままに背後に無造作に投げられた言葉。
まるで人形から発せられたもののごとく無機質なその響きには、なんの感情も込められてはいない。
　
「お別れのご挨拶に、まかり越しました」
ひっそりと返ってきた言葉に、彼は背後を振り返った。
賤しからぬ風情の老婆がひとり、上がり框にそっと指をついている。
それをじっと見つめた泰継は、ふと表情を和らげた。
「そなたであったのか」
　
　
　
　
　
　
　

-2-

　
　
　
　　
虚空高く風が鳴っている。
薄い板壁の隙間から吹き込む風が、燭台の小さな炎をゆらしていく。
わずかに手元を明るませるほどのその灯火だけが、暗闇の中に二人の輪郭を浮かび上がらせる。
　
「雪が舞って参りましたね」
外の気配に耳を傾けていた老婆が、ぽつりと云った。
頷くでもなく泰継はただ彼女を見つめている。既知のものの見知らぬ姿に目を凝らすように。
「別れ、と云われたな」
視線を彼に戻して老婆は静かに頷く。
「あなた様の次の目覚めまでは、私はこの世にとどまってはおりませぬゆえ」
何故と云う問いを彼の瞳に読みとって、老婆はかすかに微笑んだ。
「どうしてもあなた様に伝えておきたかったのです。先代の・・・泰明様のことを」
「なっ」
静かな水面が波立つように彼の気配が乱れた。
「そなた知っているのか？泰明を」
頷いて老婆は微笑んだ。
「私を此処へ連れてこられたのは泰明様です。
・・・いつの日もあなた様をお守りせよ、と」
　
　
　　
　

-3-

「泰明様は、あなたのことをたいそう気にかけておいででした」
懐かしそうに、老婆は目を細めた。
「あの方は安倍家の総帥、晴明様に直々に身体を与えられた方。
あまりに強いその力を封じ込めるには、他の者が作った身体では
どうにもならなかったと申します。
幾多の木偶に封じ込めようとなされて、その度に魂魄の力に身体が負け砕け、
ついには直々に晴明様が形代をお与えになったと聞いております。
そしてあなた様のお身体もまた、そのおりに創られた物。
ですからあなた様と泰明様は、たいそう良く似ておいでなのです」
「私の力など、泰明には遠く及ばぬものを・・・」
「いいえ、お二人はよく似ておいでですよ。
強いて云うなら、泰明様の方が”殻が薄かった”といえるのかもしれませんが」
「・・・殻？」
「そう、あなた様達は同じ木から生じた種のようなものでございますから。
裡に懐くモノは同じでも、包む殻の質が違うのでございますよ。
晴明様の陰の気を分け合ったお二人ですもの、
本来持っているお力は同じなのです」
「そうだろうか。
・・・いや、そうは思えない」
頑なに断言した彼は、傍らの冊子に目を落とした。
「私には泰明ほどの力はない。
なんのためにこうして生きているのか、
・・・生かされているのかさえ判らぬものを」
泰継のわずかに寄せられた眉根に癒せぬ苦悩を読みとって、
老婆は微かにため息をもらした。
　
そう彼が思うのも無理はない、と判っているだけに。
泰明と同じ形代を受けながら、その在りようさえ常人とは異なっている彼。
自らの意志とは関わりなく繰り返される三月の目覚め、そして三月の眠り。
いつ消滅するか、そしていつまで続くのか判らぬ不確かな命を永らえることの難しさが、
もう長い間彼を苦しめてきただろうことは容易に想像できる。
　
”泰明は人となった”
安倍家に伝わるこの一文のみが、彼を永らえさせてきたのだから。
　

　
　
　
　

-4-

　
「・・・あなた様をお守りせよと、あの方に仰せつかったとき
私ごときに何ができるものかと、正直なところ思いましてございます。
あの方にしろ貴方にしろ、私などが守って差し上げることなど
何一つありはしないではないかと」
しばらくの沈思の後再び語りだした老婆に、泰継は静かな眼差しをむけた。
彼の静かさの中にある諦観に、押し込められた苛立ちに老婆は密かにため息する。
彼の手元にある冊子は、泰明の物と伝えられる書き付けである。
形代を授かってわずか２年後に龍神の神子の八葉になり、そして去った彼。
圧倒的な陰陽の力を揮い神子を助け、鬼を滅した後は神子を守るため
ヒトとなったと伝えられる彼。
　
「その書き付けが、ただあなた様ひとりに向けられた物であることは
ご存じでございましょう？」
泰継のわずかなまばたきを肯定と受け取って老婆は頷く。
「あなた様以外の誰が読んでも、真意の半分も読みとれますまい。
それはあの方が、いつの日か次代の龍神の神子に仕えるべきあなた様に
残したものでございますから」
「そんな日が来るはずもあるまいにな」
相変わらずの無表情の奥に潜む、自嘲の笑み。
膝から浮かしかけた手を、思い直したように再び膝の上に重ねて老婆は顔を俯けた。
「それでも、それはあの方があなた様のために残されたものなのですよ。
永らえて次代の神子を待たねばならぬ、
あなた様の遠い道のりの、せめてもの道しるべに、と」
　
木々を揺らす風が強くなった。
　
　
　
　

-5-

　
　
　
　
ややあって、ぽつりと老婆が口を開く。
それは強さを増した風に紛れそうな声であったが。
　
「・・・・あなた様は泰明様をうらやんでおいでですが
あの方にはご自分を育む”時間”というものがなかったことをご存じですか。
あの方は身体を授かってからあまりに短い時間で八葉となられたのです。
晴明様譲りのお力をただそのまま駆使することしかできなかった
あの方の哀しい口癖を、あなたはご存じあられない」
「口癖・・・？」
「自分はただの道具でしかない、と」
「道具」
「自分は陰陽の力を駆使するだけの道具だと
・・・・あの方はよくおっしゃっておいででした」
泰継は冊子に目を落とした。
手ずれするほどくり返しくり返し読んだそこには、
彼の苦しみの痕は何一つ書かれてはいなかった。
龍神の神子の伝承と、神子を助けるためにすべきこと。
ただそのことのみが書き付けられていたにすぎない。
ひとつため息を落として、泰継は云った。
「それでも私は泰明がうらやましい。
たとえ道具でもよい、彼にはすべきこととそのための力があったではないか」
哀しそうに老婆はうつむいた。
「あの方はあなた様をたいそう気にかけておいででした。
次代の神子を待つために、永い時を独り過ごさねばならぬことを。
そしてまたうらやんでもおいででした。
自分にはなかった長い時間を持てることを」
「うらやむなどと」
即座に否定する泰継を哀しい眼差しで見つめ、老婆は軽くかぶりをふった。
「・・・努力せずに手にできるものの価値には
鈍感なものでごさいますよ。どなたも」
　
　
　
　
　
　
　
　

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ふ、と吹き込む風が灯火を吹き消した。
闇に包まれた小屋を、ひときわ強い風がごうと揺らしていく。
板壁の隙間からほの白く見えるのは、うっすらと辺りを覆った雪の色だろうか。　
　
つと立ち上がって泰継は戸を開け放った。
真暗闇の小屋の裡へ、風と共に雪が舞い込む。
　
「ご辛抱も、もう少しでございますよ」
風の中に老婆の声を聞き取って振り向いたとき、すでに小屋の中には誰もいなかった。
開け放った戸に凭れて、泰継は風の吹きすさぶ様を見つめた。
木々の枝が風にたわみ、細かい雪片が風に舞い狂うさまを。

　
　
　
　

-7-

　
　
一陣の風が辺りの雪片を巻き上げ、白い幕の様に一瞬の視界を奪って去った後
泰継は視界の先にあるはずのないものを見出した。
荒れ狂う風の中に凛と立つ梅の老木に一輪咲いた白い花を。
師走のこの時期にまだ咲くはずのない花がたった一つ、
雪と見まごう白さで咲いている。
「・・・そなた」
　
彼の眠りの時期に咲く白梅。
彼がこの庵に住まう前からこの池の縁にあり、ずっと彼を見守ってきた老梅。
泰明が植えたというのならば、かれこれ１００年にも及ぶ歳を重ねてきたものだろう。
木と話すことができたという泰明のその言いつけを守って、ただずっと彼を見守って。
月日そのものを刻まれたように節くれ立ち瘤を持ち、うっすらと苔すらまとって
なおも凛と立つ古木。
　
泰継は素足に雪を踏みしめ、その幹にそっと手をあててみた。
冷たい樹皮の奥に、確かに遠い春が息づいている。
「今度の花が最期でございましょう。いかにせん私も、歳を重ねすぎましてございます。
それで最期にひとめ、あなたに花をお目にかけたく」
風に紛れるその声はかの老婆のものと知れたが、驚くでもなく彼は微かに頷き、そして微笑った。
「礼を言おう。
許されぬ眠りの時期に咲くそなたの花を見ることができたは、何よりの餞別ぞ」
うれしげに枝が震え、幻のような白い花びらが散った。
「あなたさまの本当のお目覚めも、もうまもなくでございますよ」
手のひらに舞い落ちた花びらをそっと握った彼の耳元を、老婆の声が風と共に掠めていった。
　
　
　
　
　　
　
　
　
　
　
　
　

-8-

　　
「・・・泰継さん？」
うっすらと雪の覆う火之御子社の階で、彼は眠りから覚めた。
自分の顔を心配げにのぞき込む花梨をぼんやりと見返しながら、
彼はめまぐるしく思考を巡らす。此処はどこだ、そして今はいつだ？と。
自分に寄り添う暖かな存在を片手に抱きしめながらも、眠りに落ちてから一日にも満たぬ
わずかな時間で目覚めたことがまだ信じられない。
「私は・・・目覚めたのか？」
うれしそうに花梨が頷いた。
立ち上がろうとしてバランスを崩し、彼は階に膝をつく。
「泰継さんっ」
「いや、・・・問題ない」
頭をひとつ振って彼は呼吸を整える。この違和感はなんだろう？
この身体の、自分のものでありながら、自分のものでないような歯痒い違和感は。
身の裡の気配を注意深く探って彼は、愕然とした。
「陰陽の気が整って・・・いる」
「え？」
晴明の陰の気を核として在る存在ゆえに、彼も泰明も初めから身の裡の気は陰に偏っていた。
それがどうしたことか、彼の中でいま完全に陰陽が調和している。
そして偏りがもたらしていた不安定感も不安も、跡形もなく拭い去られていることに気付き
彼は言葉を失った。
「これ・・・は。
私は人となった・・のか？泰明のように？
・・・・これはおまえの力なのか？神子」　
彼の両目からこぼれる涙をそっと袖で拭おうとする花梨を抱きしめて、彼は子どものように泣いた。
泣いてもあとからあとから暖かなものが胸の裡を満たし、溢れてくる。
柔らかく抱きしめてくれる花梨の暖かさが胸に残る冷たい虚無感を溶かしてゆく。
　
生まれて初めて感じる切ない甘やかさに、泰継はただのみこまれていた。

　
　
　
　

-9-

　
「すまない神子、・・・取り乱した」
泣きはらした痕をまだ目元に残して泰継は神妙に謝る。
それがなんだかかわいくて、花梨は思わず微笑んだ。
つられたように微笑んで、でもまぶしそうに彼は花梨の笑顔を見降ろした。
「・・・もし私が本当に人になれたのなら、今度こそ見られるだろうか」
「え」
「梅を」
「梅の花、ですか？」
「そう、かの花は私の眠りの時期に咲く。
人ならば見ることも・・・探すこともできるだろう」
「探すって」
「去年まで私を見守っていてくれた梅花の・・・末裔を」
「きっと見つかりますよ。泰継さん
一緒に探しに行きましょう。
でも梅の木が見守っていてくれたなんて素敵ですね」
うれしそうに彼は頷き、彼女をすこし強く抱きしめた。
そして彼女の柔らかな髪に顎を埋め、そっとつぶやいた。
　
いつの日かおまえに話すだろう、
手のひらに散った、幻のように白い梅花を。－－－と。

　　
　
　
　
　　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　
　

ｅｎｄ

　
　

　・・・あとがき・・・
このお話は「遙か２」の地の玄武・泰継さん通常恋愛４段階のアレンジ版です。
・・・はい、最終２章だけ（笑。
木とお話が得意な泰明さんと、下っ端陰陽師にいったん憑依してからじゃないと
お話しできない泰継さん。（連理の賢木）
いちいち泰明さんと自分を比べて落ち込んでたりしますよね、彼は。
再プレイで彼とラブラブ路線を走っているうちに、なんとなく頑張れコールを送りたくなりました（笑。
泰明さんと直にお話しできた木なら（この場合梅ですが）、気がついてくれない泰継さんには
ずいぶん歯痒い思いをしたろうなと、そんなことを思いながら。
泰継さん、気配だけなら判るみたいですよね？「木が驚く」とか云ってますから。
梅の話しになったのは、実は今年うちの梅が枯れてしまったから。
もちろん、彼が”眠っている時期の花”というのはポイントなのですけれど（笑。
　
地の玄武ものは、どうも彼らにつられて悩みモード炸裂のお話になってしまいます～。
もっと幸せな話しにしたいのに（苦笑。
　
ともあれひとときでも楽しんでいただければうれしいです。
感想など、是非お気軽にお寄せ下さいませ。
では、また次の物語で。

背景画像は　薫風館さま　より頂きました