べたべたと油くさい路地を抜け、きしむ扉をいくつ開いただろう。階段を降りたわけでもないのに何故か地底に向かって歩いて行くような
ついぞ覚えたことの無い恐ろしさが、いつしか背中に張り付いていた。
間違いではないのかと何度も見直した地図は、だが、
確かにこの路地の奥を指している。
幾つ目かすでにわからなくなった角を曲がった私は、
思いがけない明るさにぎょっと足を止めた。
どこを通って届いたものか、確かに一筋の光が
地の底に立つ青年を照らしている。
光の道筋が見えるほどのよどんだ空気の中で
不思議なほどの清涼感を漂わせて、彼は居た。
「何か、用か」
問うてくる声は若いのに、まなざしはまるで何百年もの歳月を
見届けてきたかのように揺るぎもしない。
それは希代の陰陽師という職業のせいか、
・・・それとも不老不死といううわさが本当だったのか。
まなざしに射竦められた私には、仲介人に教えられたままに
用向きを云う己の声の震えを忌々しく思うほどの余裕すら無かった。
「わかった。問題ない」
その返事を受け取った私は口早に謝礼の約束をし、己を脅かす物の怪よりも
よほど恐ろしげな彼のまなざしから逃れるように背を向けた。
だが。
そのとき、思いもよらない言葉が私の口から飛び出したのだ。
「泰明よ、このような場所で何をしている？」
向けたままの背に、痛いほど彼の視線を感じた。
「・・・天狗か」
ややあって、意外にも苦笑交じりの声が聞こえてきた。
「神子を待っている」
「神子だと？」
再び何者かが私の口を使う。
「そう、神子が再び生まれてくるまで、何百年でも」
「はっはっはっ、そなたらしいの」
ちっとも愉快ではない私の気持ちなどにお構いなしで、
何者かは、さも愉快そうに笑って見せた。
「問題ない。
神子は必ずまた生まれてくる。だから私は神子を守るために待っている。
・・・命ある限り、神子を守ると約束したのだから」
「ならばわしも此処に居ろうぞ。よい退屈しのぎが見つかったものじゃ」
耳元に鳥の羽ばたきのようなものを聞いた私の記憶は、そこで途絶えている。
思い出したのは、あれから５０余年も過ぎた昨日のことだ。
だから、あの迷路のような路地の奥に、本当に不老不死の希代の陰陽師が居たのかどうか、
そして今も「神子」とやらを待っているのかどうかは知らない。
だが、きっと彼は居るだろう。
いまでもあの地の底のような路地奥に。
・・・いや、もしかしたら、守るべき神子の傍らに。
