| -1- |
高欄にもたれかかる彼のすっきりとしたその素足の先は、無造作に階に投げ出されている。
幾つもの熱い視線を背中に流して、彼の視線は遠くをさまよう。
眉に落ちかかる髪すらも煩わしげに、かるく目を細めて。
「友雅さん」
そう、彼女は彼を呼ぶ。
・・・他の誰もが呼ばぬ呼び方で。
「橘少将」でも、「少将さま」でも、「友雅殿」でもなく。
ただ「友雅さん」と。
近いようでもあり遠いようでもある、その呼び方を聞くたびに胸騒ぐ、
この感覚は一体なんだろう？
歯がゆいようでもあり、嬉しいようでもあるこんな想いは、今まで覚えがなかった。
「少将殿」
振り向くと、治部小丞がいつものように柔らかな笑顔を向けている。
「こんなところで、考え事ですか？
先程からいくらお呼びしてもおいでになられない、と藤姫が心配していましたよ」
ちらりと笑みを浮かべて友雅は立ち上がる。
「いや、たいしたことではないよ。
―――それにしても、なにやら気ぜわしい春だと思わないかい？」
「・・・・・・それはそうと、神子殿はいつお帰りになるのでしょうね」
藤姫の居室に向かう友雅に並んで歩きながら、独り言のように鷹通はつぶやく。
もちろん、友雅の耳に届いていることは百も承知で。
「おや、神子殿がいないと、そんなに落ち着かないのかな？」
さりげなく牽制してくる友雅の、そんな様子に
”あなたほどではありませんけれど” の台詞を、笑みとともに飲み込んで彼は云う。
「ええ、―――これでも八葉ですからね」
|
| -2- |
冷たいものがさわさわと頬をかすめる。
あるかなきかの、ひやりと冷たい風が草花を揺らす。
あかねは醒めきらぬぼんやりとした意識でそれを感じていた。
――ココハ何処？
わずかに揺れる草の葉先だけがかろうじて命の在処を示すような此の場所は
あまりに静かで、いっそ哀しいほど美しい。
ふと身近に人の気配を感じて、あかねは半身を起こした。
いつの間に現れたのか、すぐ傍らにアクラムが居る。
仮面の中の表情は窺いしれないが、何故か懐かしいものを感じて
あかねはその瞳をのぞき込んだ。
仮面の下の紅い唇が動く。
「そなたを喚んだのは私だ。
―――神子、そなたは私のものだ」
あまりにも確信に満ちた、揺るぎない所有権の主張。
そんな彼に惹かれる自分が居ることを知って、彼女は動揺する。
でも。
差し出されたその手を取ることは、何故かためらわれた。
「どうした神子。
そなたはこの真秀なる庭に、私と棲むのだ」
低く音楽的な声に含まれる微かな優しさを知って、あかねは再び躊躇する。
この手を取ることはできない。でも切り捨ててしまうことも、できない。
「帰して。私を帰して、―――お願い」
ククっと紅い口をゆがめて彼が嗤う。
「帰すとは、お前の元の世界にか？・・・・それともあの男の側にか？」
「え？」
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| ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ |
「！」
泰明は、神子の枕元に座して印を結ぶ師を仰ぎ見た。
小さく頷いて、安倍晴明は低く呪を唱える。
あかねのわずかに乱れた気配がそれで落ち着いた。・・・落ち着いたようにみえた。
それを見届けて、晴明はあかねの額にかざした掌を己が膝に戻す。
視線をあかねの閉じた目蓋に落としたまま、晴明は問う。
「八人目の八葉は、まだ目覚めぬのか」と。
「・・・目覚めとは。
では八人目、最後の八葉は既知の者と？」
「何を知れたことを」
泰明の驚きをむしろ意外な面もちで見返して、彼はため息を落とした。
「なんと、・・・そなたまでも見逃しているとは」
記憶を辿るように眉を寄せる泰明に、晴明は言って聞かせる。
まるで幼子に教え諭すように。
「早くその者を見つけ、覚醒させよ。
――不安定な神子の気を落ち着かせるためにも」
頷いて泰明は、胸元の数珠を握りしめた。
|
| -3 - |
「神子さまは、いつお帰りになるのでしょうか」
挨拶ももどかしく、待ちかねて藤姫は泰明に聞いた。
慎み深い藤姫には珍しく、その手に泰明の袖の端を握っているのは、
彼女なりの切羽詰まった気持ちの現れなのかもしれない。
「さしあたり明日、こちらに帰すことにした」
相変わらずの無表情に一抹の焦りが混じっていたことに、一体何人が気が付いたろうか。
「さしあたり、とは穏やかではないね。
晴明殿の力を以てしても、神子殿の神気はまだ落ち着かれないのかな」
「八弦琴の影響ならば、もはや問題ない。・・・・だが」
「だが？」
「師は、神子自身の気の揺らぎが、そのまま神気の揺らぎにも影響すると診ている」
「神子さまの気の揺らぎ、ですか？」
小首を傾げる藤姫に、自身も同じく小首を傾げつつ、鷹通が助け船を出した。
「つまり、あかね殿に気の揺らぐこと、たとえば悩みなどがあれば、
鬼の付け入る隙、神気の乱れもできると。
・・・そういうことではないでしょうか」
「あの神子殿に悩み、ねぇ？」
笑みを含んだ台詞をつぶやいたその彼を、藤姫は軽くにらんだ。
「友雅どの！まじめに考えてくださらなくては困ります」
「はいはい。
・・・だが此処には、私などよりも、もっと神子殿に近い存在である”八葉”が、
７人までもそろっているのだがねえ？」
「早く八人目を探せ、と師は云った」
「八人目は確か『兌』。――自然にあっては悦ばし惑わすもの、でしたね」
「そんな奴に頼らなくても、俺達でなんとかできないのかよ」
いらだつ天真に、困ったように永泉が答えた。
「天地の四神、合わせて八人。
それが揃ってこそ真価を発揮することも叶う、そういう存在なのです。
・・・あの、新参の私が云うのも差し出がましいようなのですが」
「――少将殿？」
見上げる鷹通に、立ち上がった友雅は苦笑を投げた。
「この現状を、帝にご報告してこよう。
それがいま、さしあたり私のできる唯一つのことのようだからね」
|
| -4- |
翌日の昼下がり。
藤姫の館に戻る牛車に揺られながら、あかねはひとつの夢を思い返していた。
八弦琴の呪いで乱れた神気を整えるためと、泰明に伴われた陰陽師・安倍家。
その総帥である晴明の術で見たいくつかの夢は、主に「鬼」に関わるものだった。
彼女は夢の中で鬼と呼ばれる彼らと出会い、言葉を交わした。
それは時にアクラムであり、シリンでありセフルであった。
既におこった出来事を夢で再び経験し、もつれた糸を解きほぐすように
気の乱れの元を正すのだと、そう泰明は告げた。
そうして見た夢の多くは再び記憶の奥にしまい込まれて、思い出そうとしても
おぼろげにしか浮かんでこなかったが、たったひとつの異質な夢だけが
あかねの記憶に鮮明に残っていた。
――白い大きな花をたくさんつけた木の、その枝に抱かれるように立つ人が居る。
その人の緋の衣が花の白さを際だたせて、幻のように美しいとあかねは思った。
近いのか遠いのか。目の前に居るようで、遙か彼方に在るようで。
はがゆい思いと、消えてしまいそうな焦燥感におそわれて、彼女は思わずその名を呼んでいた。
「・・・・・・さん！」と。
「うーん、誰だったんだろう？」
思わず声に出たその問いに、牛車の外から応える声があった。
「神子殿、・・・ご気分でも？」
窓の簾を上げてみると、しのつく雨の中、すぐ側に騎乗した頼久が寄り添っている。
彼は激しくなった鬼の襲撃を警戒して、最近では昼夜を問わず警護してくれていた。
「ごめんなさい。なんでもないです。
・・・あ、そうだ。
ねえ頼久さん、大きな白い花の咲く木ってなんだと思ます？」
「大きな白い、ですか。あいにく花にはあまり詳しくないのですが・・・。
今の時期なら、木蓮に白いものがあったかと思います」
「モクレン？」
「たしか左大臣家にもあったかと存じますが」
「ふーん、そうなんだぁ」
「それがなにか？」
「ううん、どうもありがと」
窓を離れて元の場所に座り直して、あかねはひとり首を傾げた。
木蓮？うーん、木蓮って・・・・どんな花だっけ？
|
| -5- |
「神子さまどちらへ？」
「ちょっと外の空気を吸って来るね」
心配そうに見上げる藤姫を安心させるように、ちょっと笑ってあかねは部屋を抜け出した。
昨日の雨は夜半に上がり、うららかな春の日差しが辺りを柔らかく照らしている。
「そういえば、木蓮が庭にあるって云ってたよね」
探すともなく広大な庭を歩きながら、あかねは夕べから胸に引っかかっていることを考えていた。
昨日、安倍家から帰宅したあかねを迎えて、いつもの面々が顔を揃えてくれたなかに、
一人だけ見えない顔があった。
その居ない一人を捜して、あかねは自分の視線が皆の上を虚しく滑ったのを感じていた。
気が付いた天真があからさまに不機嫌になったのは別格としても、
あかねのそんな様子は皆にも判ってしまって。
人一倍気を遣う詩紋が、さりげない風に「あれ？今日は友雅さんは」
と聞いてくれたおかげで、不穏になりかけたその場の雰囲気は
なんとか踏みとどまったのだったが。
自らも遅れてきた鷹通が、何故かすまなそうに「帝の御用で」と言い訳をしていたが、
昨日友雅はついに一度も姿を見せなかった。
「・・・きっと、忙しいんだよね、友雅さん」
とはつぶやいてみたものの、他の面々とて決して暇を持てあまして
集まっているわけではないことを、あかねも充分に知っている。
「・・・八葉、かぁ」
先日の八弦琴事件の後、友雅はなぜか「八葉」という言葉に
微妙なニュアンスを潜ませるようになった。
少なくともあかねには聞こえる。そう、――ワタシハ部外者ダヨ、と。
頬にぶつかる小枝に気が付くと、いつの間にか池の端をぐるっと廻って
深い植え込みの中に入り込んでいた。
足下ばかりをぼんやり見ながら闇雲に歩いたせいで、自分がどの辺りにいるのか見当も付かない。
「あれ？えっと、・・・どこだろ、ここ？」
辺りの木々はさすがに手入れが行き届いているものの、普段あまり人の
立ち入らない場所のようで、他に人の気配もない。
背伸びしてぐるっと辺りを見回すと、木々の枝の隙間から白い大きな花のようなものが見えた。
「あ、もしかして、あれは」
木蓮かもしれないと枝をかき分け近づいて、あかねは立ちすくんだ。
――白い大きな花をたくさんつけた木の、その枝に抱かれるように立つ人が居る。
それは、夢で見た情景だった。
|
| -6- |
その赤い衣をとっさのことにアクラムかと思ったが、背を向けたその人は
矢を放射状に束ねて背負っている。
冠の纓を高々と巻き上げたその姿は、確か武官の正装ではなかっただろうか。
緋色の衣が花の白さを際だたせて、幻のように美しいとあかねは思った。
ふ、と人の気配に気が付いたように振り向いた顔を見て、
あかねはポカンとした。
あまりに見慣れぬまじめな顔の、それは友雅だった。
「・・・・えっ、友雅さん？」
驚いたのは彼も同様だったらしく、とっさにお得意の軽口も出ずにいる。
無言で見つめ合うことしばし、だが先に微笑ったのは友雅だった。
「やあ、おかえり、神子殿」
花を揺らさないように枝をよけて木のそばを離れた彼は、
傍らに立てかけてあった弓を手に取る。
まるで絵から抜けて出たような一分の隙もないその姿は、普段の気安い友雅と
なかなか結びつかなくて。
用は済んだとばかりに歩き出す友雅に、あかねはなんと云って話しかければよいのかとまどった。
・・・こんなこと、出会ってから今までなかった。
いつもなら彼の方から何かと話しかけてくれるのに・・・。
でも黙っていれば、彼はそのまま立ち去ってしまう。
何故かこのまま手の届かないところへ行ってしまうような気がして、
あかねは思わず呼びかけていた。
「友雅さん！」と。
振り向いた彼は、次の言葉を待つようにごく軽く首を傾げてあかねをみつめた。
とっさにあかねは花を指さした。
「この花、なんて云うんですか？」
ああ、と表情を和らげて友雅はその木を見上げた。
象牙のような白色で掌ほどもあるその花は、あるかなしかの風に
ゆらゆらと優しく揺れている。
「木蓮というのだよ」
「好きなんですか？この花」
「そうだね。・・・春の花の中では一番、といっても良いだろうね」
「桜よりも？」
ふ、と微笑んで、彼は手にした弓をそっと灌木に立てかけ、あかねに手招きをした。
なんだろう？と近づくあかねをひょいっと抱え上げて、友雅はそのまま
木蓮の木の傍、いや枝の中に入り込む。
面食らったあかねに、彼は云った。
「神子殿、・・・深呼吸してご覧」
|
| -７- |
そっと地面に下ろされても、なんだかまだ夢の中のような不思議な感覚の中にあかねは居た。
はっと気が付いて、縋ったままの友雅の袖に鼻を押しつけてみる。
・・・違う。この香りじゃない。
微かに感じたあの香りは、清楚でありながらどこか官能的で、
それでいて何故か懐かしい。
ごく微かであるために、意識しなければ気が付かないような香りだけれど、きっとずっと忘れない
――そんな気がした。
「・・・だから？」
「そう。
・・・だから」
頷いた友雅は、もう一度花を見上げて軽く深呼吸した。
その表情が一瞬少年のように見えて、あかねはどきっとした。
いつだって、誰の前だって、友雅はオトナだったから。
――こんな友雅を、あかねは知らない。
その手に彼の袖を握ったままだったことに気が付いて、あかねはそっと手を開いた。
と、思いついて、一旦離した彼の袖に鼻を寄せる。・・・あれ？
頭上からくすくすと笑い声が降ってきて、怪訝な面もちのままあかねは友雅を見上げた。
「子犬のように。・・・どうしたのかな？神子殿は」
「だって友雅さん、あんまり匂わないよ？」
あまりに正直な物言いに、友雅は失笑した。
「せめて香る、と云ってほしいものだねえ。そんなに私は臭かったかな」
「ごめんなさい、えっと、そうじゃなくて。
でもいつも、もっと離れていてもちゃんと”香る”でしょ？」
「着替えてくる間がなかったのでね。
・・・それに此処に、この木があることを思い出したから」
軽く襟元を整えながら彼は笑った。
そういえば帝の御用で、と鷹通が昨日云っていたけれど・・・・。
「御用は済んだんですか」
「ちょっと手間取ったけれど、ね。
いつか藤姫がこういう姿を見たいとご所望だったことも思い出して、
帰宅の途中に寄ったのだよ。
そう、・・・この花にも逢いたかったしね」
わたしに会いに来てくれたんじゃないんだ。
一瞬ものすごく落ち込んでから、あかねはそんな自分におどろいた。
再び弓を手に、友雅はあかねを振り返った。
「神子殿、私は藤姫のところへ伺うけれど、君は？」
あかねは無理矢理笑顔を作る。
「えっと・・・・もうちょっと、散歩してきます」
ではね、と軽い笑みを残して彼が木立の向こうに消えた途端、
あかねはその場にしゃがみ込んでしまった。
わけもなく涙がこぼれる。
なんで、・・・・なんでだろう？
|
| -8- |
女房達が立ち騒ぐ様子が普段と違うので、どうしたのだろうと藤姫は小さく首を傾げた。
「橘少将様がお越しになられました」
そう告げに来た女房も、そわそわと後ろを振り返ってばかりいる。
もう一度首を傾げたとき御簾の向こうに立つ人影があって、
藤姫は思わず軽く息をのんだ。
初めて見る友雅の束帯姿。
緋の衣に巻纓の冠、背には矢を放射状に束ねて背負い、腰には見事な太刀を佩いている。
髪をきっちりと結い上げて冠の中に入れているせいもあって、いつもはあまり感じない
”近衛府少将”という位なりの威厳の様なものさえ漂っているようで。
それでも動作はいつものように軽やかで、笑顔になれば普段の友雅だった。
「ご機嫌いかがですか？藤姫」
その一言でまるで呪縛が解けたように、藤姫も周りの女房達も我にかえる。
気が付けば魔法にかかったかのように、誰もが彼を惚けたように見つめていたので。
「友雅殿、・・・そのお姿は」
「いつか見たいと仰っていたでしょう？
まあもっとも徹夜明けで、中味も衣も、いささかくたびれていますがね」
「帝の御用ですの？」
「ええ」
笑い含みの声も本当に疲れているようで、藤姫は友雅の顔をのぞき込んだ。
「・・・御所で、何があったのですか？」
不意をつかれたように笑みを消した友雅は、ちいさく
口のなかで「まいったな」とつぶやいた。
「友雅殿？」
「いや、あれで彼らもなかなか勤勉でね。
今度は御所に悪さをしかけたので、不肖の近衛府少将までも
駆り出されたというわけですよ」
「彼らって・・・まさか鬼が御所に！？」
「・・ああ、大丈夫ですよ、藤姫。
安倍晴明殿も駆けつけて、父君の大臣も帝もご無事ですからね」
「そうですか」
ホッとしたように微笑む藤姫に笑い返しながら、友雅は御所でのやりとりを思い出していた。
|
| -9- |
「橘少将殿とお見受けするが」
払暁の渡殿で呼びかけられて振り向くと、泰明の師匠であり
稀代の陰陽師として名高い安倍晴明が立っていた。
御所内に撒かれた穢れを晴明ら陰陽寮が祓ったのを受けて、
友雅も近衛府の長として要所の警備の手配を済ませたところであった。
幸いにして穢れに気付いたのが早かったため、
帝をはじめとして主だった貴族への呪詛も回避でき、
大事に至らずに済んだのがなによりであった。・・・だが。
友雅は呼びかけた晴明の顔色がすぐれないのに気が付いた。
「晴明殿、何か御懸念でも？」
「ああ、いや・・・・今宵のことではござらぬ」
「では？」
「先日お預かり申した、龍神の神子のことでござるが」
「神子殿の身になにか？」
とっさに顔色の変わった友雅の様子に気付くでもなく、晴明もまた
自身の思いに捕らわれているように
「ここでは人目に立ちますな。・・・こちらへ」
手近な物陰へ彼を誘った。
「あなたも当然ご存じでしょうが、なぜか未だに八葉が揃わぬのです。
そのために神子の神気は未だ不安定で、この様な鬼の穢れも易々と受けてしまう」
「ではこの御所の穢れは、神子殿のせいだとでも？」
友雅の眉間に危険な表情が走った。
「いやいや。
問題は”なぜ八葉が揃わないか”なのですよ。少将殿」
「それは・・・」
「少将殿、それは？」
明けてきた空を見上げて、晴明はため息を漏らした。
「・・・あの神子の神気は不安定ながらも、まさしく白龍のもの。
八葉がうち揃い彼の神子をお守り申せば、鬼の穢れなど寄せ付けぬものを」
言葉に詰まる友雅に、晴明はじっと目を据えた。
「泰明にも申したことなれど、最後の八葉は神子殿の既知の者と存ずる。
なにがその者の覚醒を妨げているものか、それが判ればよいのでござるが」
「私にできることがありましたら、協力は惜しみませんよ。
帝にもそう仰せつかっておりますし」
「・・・いや、今はその者の覚醒を待つしかござらぬ」
ため息とともにかぶりを振って晴明は
「お手間を取らせ申した」と背を向けた。
「晴明殿」
思わず呼びかけた友雅に、振り向いた晴明は云う。
「参考までに申し上げれば、最後の八葉”地の白虎”の頂く宝珠は、鮮やかな翡翠色。
そして・・・」
「そして？」
「その者は、おそらく”真実を秘して語らぬ者”」
「真実を？」
「さよう、さすれば宝玉はその者の喉元に」「あ、こちらにおいででしたか、晴明さま。帝がお会いになられたいと」
晴明の言葉は、彼を捜していた貴族に遮られてしまった。
「晴明殿・・・」
「橘少将殿、またいずれ」
しきりに急かせる貴族にせきたてられ晴明が去った後、
友雅は取り残されて一人、明け方の空を見上げた。
「真実を秘する者、ねえ」
不意に脳裏に浮かんだあかねの面影を振り払うように、ひとつ頭を振って彼は歩き出した。
まだ片づけねばならない仕事は山積している。
|
| -10- |
ちりん、と耳元に小さな音を拾って、友雅は我にかえった。
すぐそばには大きな紫の瞳を一杯に開いた、藤姫の心配そうな顔がある。
「友雅殿？」
「あ・・・・・ああ」
とっさの狼狽を隠すために友雅は微笑んで見せたが、それは
我ながら無様と自覚できるようなものだった。
そんな友雅を見て、藤姫は申し訳なさそうにうなだれた。
「とてもお疲れなのですね。
・・・そんな大変なお仕事だったとは知らなくて、私」
「藤姫？」
「せっかく神子さまがお戻りになったのに、
どうして昨日は一度もおいで下さらなかったんだろうって、ずっと、・・・。
ごめんなさい。冷たいなって思ってしまって・・・」
袖の中で小さな手をにぎる藤姫の髪を撫でながら、
先程より幾分ましな笑顔で友雅は笑った。
「ははは、藤姫にはそう思われても言い訳できませんね。
なにしろ普段の私をよくご存じだから」
「友雅殿」
「でも他の面々は、・・・八葉は、みな馳せ参じたのでしょう？」
「はい、・・・でも。
神子さまも、きっと友雅どのをお待ちだったのです。
そう口に出してはおっしゃられませんでしたけれど」
「ふふ、うれしいことを云ってくれるね。
ならばせめてお役に立つよう、がんばって残りの一人を早く見つけなくては、ね」
「・・・友雅殿」
藤姫は思い詰めたような眼を友雅に向ける。
「なんでしょうか？藤姫」
「友雅殿は、・・・・・・八葉は、イヤですか？」
「イヤもなにも」
さも意外なことを聞いたように、友雅は笑い出した。
「選ぶのは私ではありませんよ、藤姫。それに」
「それに？」
「まあできれば、ご免被りたいですね」
「どうしてですの？」
「そういう面倒なお役目は、若い彼らに任せてしまいたい、と。
私にはこうして脇から応援している方が、性に合ってますよ。
なにかにしばられるのは苦手でしてね」
藤姫は悔しそうに唇をかみしめた。
何度占っても、結果は同じ。
まだ誰にも云っていないが、最後の八葉「地の白虎」は、
まさしくこの橘友雅を指し示すのに。
|
| -11- |
ふと異様な雰囲気を感じて、藤姫は顔を上げた。
いつ戻ったのかあかねが無言のまま、友雅とまるでにらむように見つめ合っている。
「神子さま・・・？」
藤姫のその声に弾かれるように身を翻して、あかねは外に走り出していった。
「神子さまっ」
「・・・ふふ、聞かれてしまったようだね」
妙に疲れたように友雅が笑った。
「では、わたしもそろそろ退散することにしよう」
「・・・・・友雅殿、神子さまに謝ってきてください」
「藤姫？」
笑いに紛らわせようとして、友雅はぎょっとしたように手を引いた。
藤姫は大きな目に今にもあふれそうに涙を溜めて、友雅を見ていた。
怒りよりも哀しさを滲ませて。
「まいったな」とため息をおとして、友雅は立ち上がった。
この小さな姫には頭が上がらない。
それどころか心の内々まで見透かされているようで、どうにも逆らえない。
「おい友雅！」
と、そのとき足音も荒く天真が飛び込んできた。
後ろから止める頼久の手がなければ、そのまま彼に掴みかかっていたに違いない。
「てめえ、あかねに何したっ」
「落ち着け天真っ！・・・お騒がせして申し訳ございません、藤姫さま」
「神子殿に？いや」
「じゃ、なんであいつが泣いてるんだよっ」
「泣いて・・・？頼久？」
「はい、天真と言い争いでもされたのかと思いましたが」
「俺じゃねえよっ」
素早く背中の矢を外し、藤姫に
「失礼」
と言い置くと友雅は庭に下りた。
|
「やはり、ここに居たね」
木蓮の下に、あかねはいた。
小さい子供のように、うずくまって、膝に頭を載せて。
「・・・あかね殿？」
ただ嫌々をするように頭が横に振られた。
友雅はその脇に、ただふわりと座った。何も云わずに。
随分長いことしゃくり上げてから、ふ、とあかねは気が付いた。
・・・どうしてこんなに涙が出るの？
袖も膝も、なみだでぐしょぐしょに濡れるほど。
長い時間しゃがんでいたせいで膝がこわばって、顔を上げた拍子に
すとんと尻餅をついた。
「きゃっ・・・！」
後ろに倒れそうになるその背を支えてくれる、大きな手がある。
とっさに見上げた顔には、いつものどこかからかう様な気配はなかった。
見慣れぬ冠と相まって、友雅はまるで見知らぬオトナのようで、
あかねは思わず眼を逸らした。
「神子殿？」
「・・・・・みたい」
「え？」
「友雅さんじゃないみたい」
一瞬言葉に詰まった友雅は、木蓮の花を見上げて、そしてくすっと笑った。
「・・・じゃない、のかもしれないね」
「え？」
「そう、”友雅”はこんな事は云わないからね。
よくお聞き、二度とはいわないから。
君を守りたいのだよ、神子殿。
・・・いや、違うな、そうじゃない。
私はただ、君のそばに居たいだけなのかもしれないな」
「でも八葉なんかイヤだって、さっき・・・」
「わたしにはね、そういう”口実”は邪魔なんだよ。
愛しいと思う姫君なら、そんな役目などなくても守ろう。
反対に役目だけで誰かを守るなど、まっぴらなのでね」
「すごくわがままって思いませんか、それって？」
「八葉には、向かないだろう？」
くすくす笑う彼につられて、あかねもつい笑ってしまう。
「でも、守ってくれる・・・？」
「君といると退屈しないからね。・・・いや、そうじゃないな。
それは本当の事じゃない」
「ホントのこと？」
「あ、いたいた！おーい、あかねっ」
がさがさと木立をかき分けて、天真が息を切らして現れた。
「この庭、なんなんだよ、めちゃくちゃ広いし木はやたらあるし」
「ごめんね、わたしを捜してたの？なあに？天真くん」
「なに？じゃねえよ。
こいつに変なこと、されてないだろうな」
「変なことって？」
天真は友雅を思いっきりにらむと、あかねの腕をとった。
「行こうぜ」
「え、でも」
「お行き、神子殿。
・・・私は、もう少しこの花を愛でたいのでね」
|
| -13- |
二人が木立の向こうに見えなくなってから、友雅は襟をくつろげて
喉元をそっと探った。
鎖骨の間の違和感の正体。指先にころんと触るこれは・・・。
姫君の涙など見飽きている。
涙を止める手練手管なら、それこそ星の数ほど知っている。
なのにあかねの涙を止めることはできなかった。
いつものやり方をためらわせる何かがあって、だから彼女が泣きやむまで
見守ることしかできなかった。
柄にもなく口走った言葉の数々が、珍しくすべて本音だったことを、彼だけは知っている。
八葉だから神子を守る、というのではなく、神子があかねだから守る。
神子と八葉などという関係は、この自分にはなんの拘束力も持たないのだと。
・・・自分はそんなことを、わざわざ彼女に云いたかったのか。
苦い笑みが友雅の口元に刻まれて、消えた。
本音を辿れば、ただ「八葉」と一括りにされるのがイヤなだけ。
とらわれるがイヤだと云いながら、八葉という名称に人一倍こだわっていたのは自分だった。
そのくせ、あかねに惹かれ始めたことを素直に認めるのもイヤで
無理に距離を持とうとしてみたり。
「やれやれ。
真実を秘して語らぬ者、ではなくて、真実に気付かぬ愚か者だな。私は」
立ち上がった友雅は、木蓮の一枝をそっとおりとった。
「さて。まずは藤姫に報告してこようか。
遅れ馳せの八葉参上、と」
清楚なその花に、友雅は晴れ晴れと告げる。
あかねが龍神の神子であっても、あかね以外の何者でもないように
八葉であっても、友雅は友雅でしかないのだと。
そして守りたいと思う気持ちは、他の誰でもない友雅自身の思いなのだと。
守りたいと思い、愛しいと気付いた、この宝珠はその証。
「すべては君のために。
そのために与えられた特別な力なら、甘んじて受け取ろう。
まあ私らしくもないが。・・・悪くもない」
最後の八葉「地の白虎」は、そうしてようやく覚醒したのだった。
――――満開の、木蓮の花の下で。
|
| ｅｎｄ |
・・・あとがき・・・
いつにもまして長いオハナシを、よくぞここまで読んで下さいました。
このお話しはコミックス「遙かなる時空の中で」４巻の「八弦琴事件」のあとを想定しています。
コミックスをご覧の方はご存じの通り、友雅さんは実は京側の八葉としては一番はじめに登場しながら
４巻も終わったというのに、未だに宝珠を持っていません。
なんで、どうして？の疑問と”あかねは友雅さんのモノ”という私の思い込みだけで、このお話しは出来ています。
なのでコミックスで何度も告っている天真君には、とても可哀想な展開となっていますね。ごめんなさい〜。
ともあれ、私も好きな木蓮と友雅さんを書けてちょっぴりうれしかったり。
皆様にはおつきあい頂いて、どうもありがとうございました。
感想などございましたら、お気軽にお寄せ下さい。
では、また次の物語で。
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